3月・弥生の酒

白酒

蒸したもち米に麹(こうじ)、味醂、焼酎などを加えて造った白くて濃い、 特有の香気がある甘い酒です。雛祭りには、非毛氈の段々にお雛様を並べ、 桃の花を飾り、供物に菱餅(ひしもち)とこの白酒を上げます。

 餅上げて娘喜ぶ雛祭り 桃のあたりに散らす白酒

お嬢ちゃんが白酒を振る舞い、取って置きの笑顔で注ぐ際にこぼしたのでしょう。 「おっとっとと」と目尻を下げている父親の姿が目に浮かびます。 ところが音は同じでも「餅(もち)」を「持ち」、「桃」を「股(もも)」と 書き換えて詠んでごろうじろ、ほほえましい歌が一転、艶めかしくなります。 桃は邪気を払い、病を除く仙木とされ、桃の花を浮かせた「桃花酒(とうかしゅ)」 は古くから知られます。酔えば桃源郷に・・・。 ちなみに桃の花言葉は「貴方に心まで奪われた」です。

鮭(さけ)酒

新巻を薄く切って焼き深皿に入れ、熱燗の酒を注ぎ、しばらく置いてから飲みます。 値段は安いですが、味は鯛に勝ります。 塩鮭は保存食ですが、甘塩のものが新巻、元来、荒縄で巻いたところから 荒巻−新巻の名がつきました。 酒中の淡紅色の鮭は、腹を裂いて子(はららご)を取られ、 荒くれ漁師の手で荒縄で縛られていたかと思うと、いとおしさが増します。 嗜虐の耽美の世界・・・。
冷凍技術の進歩で塩鮭の塩加減も薄くなりましたが、塩びきの名に ふさわしい身に塩が吹いた辛い鮭が懐かしくなる時もあります。 そんな鮭が手に入ったら迷わず鮭酒に・・・、書いているだけで喉が鳴ります。 甘塩のとはまた違った味わいがありますが、冷めると塩辛さが舌に障るので、 とにかく熱いうちに飲み切ることです。 塩びきの頭、尾鰭、骨もこんがり炙って鮭の鰭酒、骨酒にします。

 お酒飲む人 花なら蕾 今日も咲け咲け明日も咲け咲け

「咲け咲け」が「酒、酒」に掛けているのですが,鮭酒にはまると 「今日もさけさけ(鮭酒)、明日も酒鮭」にです。

鱶鰭(ふかひれ)酒

気仙沼(宮城県)は中華料理の高級食材として欠かせない鱶鰭の日本一の産地です。 和食には向かないと思っていたら、鱶鰭の握り寿司があると聞いて、 気仙沼に出掛けました。老舗(しにせ)の寿司屋で鱶鰭の握りを注文した 折りに「鱶鰭酒」の品書きを見て、早速頼んだのがこの酒との出合いです。 筒型の湯飲みに、鱶鰭を入れた熱燗が出てきました。 鰭は焼いてあります。味は濃厚で、河豚(ふぐ)の鰭酒に勝るとも劣りません。 鱶鰭寿司も鱶鰭酒も、全国広しといえども、ここ気仙沼だけでしょう。 埠頭の海産物土産センターで、鰭酒用の乾燥した小ぶりの鱶鰭を売っていました。 鰭の干物で料理には戻して使いますが、鰭酒にはそのまま用います。 説明書には「鰭を軽くあぶり、それに熱燗を注ぎ1−2分待って出来上がり」とあり、 試してみましたがいたって簡単です。 味も寿司屋の鰭酒と違いません。 鱶鰭のゼラチン質に含まれるコンドロイチン硫酸塩は血管、皮膚、内臓の衰えを防ぎ、 細胞を活性化して老化進行に歯止めを掛けるといいます。 鱶が呉れた『養老の滝』で、酔って、若返って、さて、何をしましょうか。

北寄(ほっき)酒

大形の二枚貝(ウバガイ)で、北海道や東北の沿岸に生息、 分布が北に片寄るため北寄貝の名があります。
宮城県南・亘理の北寄貝が有名です。繁殖期前の早春が美味とされます。 刺し身も良いですが、私はさっと炙って醤油を一滴垂らします。 これはもう、たまりません。 ウバ(姥)が火熱で恥じらいの色を浮かべるその一瞬を逃がさず、 箸で摘まみます。熱々を口にすると、滴る汁の甘みが広がります。 次ぎはそれを、ひょいと杯に入れて飲みます。これも旨いです。 北の海の味がします。姥の恥じらい・・・、 熱を加えるとむき身のある部分の色がピンクに変わるのです。

蕗の薹(ふきのとう)酒

またの名をばっけ酒。蕗の薹は方言で「ばっけ」とも呼ばれ、 蕗の花茎で、早春、雪解けの中から葉に先駆けて顔を出します。 いわば春の使者、むせ返るような香とほろ苦さが命です。 残雪の山肌の日だまりや河川の土手で見つけた蕗の薹を杯に浮かべ、 春のはしりの味覚で、山笑う季節の訪れが早からんことを祈ります。 雪深い山里では、綿抜きの朔日(綿入れを脱ぐ陰暦の四月一日)に ばっけ酒で「冬脱げ」を祝う風習がありましたが、都会で春の到来を 蕗の薹で味わうとすれば3月の終わりころでしょうか。 暖地の産は香りが淡く、山里の雪を割って出るものに真の芳香がありますが、 贅沢は言っていられません。出回ったら即刻買い求め、生のまま細かく 刻んで杯に散らし、目で若緑を楽しみ、鼻で早春を嗅ぎ、舌で萌える命を味わいます。 もちろん、蕗の薹そのものが、天下一品の酒の肴です。 焼いて田楽にしても、天麩羅やさっと茹でて酢味噌にしても、甘辛両方の酒に合います。
今宵は、ばっけ酒と味噌和えをつまみに、山国より一足早い春を堪能しましょう。

日本醸造協会誌1999.3

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