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酒造りには、大粒で軟質な米が良いとされるが、山田錦はその代表といえる。
昭和十一年、人口交配によって生まれた品種だが、現在、その多くは、段々畑でつくられており、出荷量は十六万俵ときわめて少ない。
これは、麹菌の活動を促す”心白”を発現させるためには、昼夜の寒暖の差が大きい山間部が最適のため、機械化もしにくいからである。
この山田錦、飯用には適さないため、ほとんどが契約栽培されている。
戦前までは「村米制度」といわれたシステムだが、これにより生産農家は安心して米づくりができ、一方、酒造家は、良質の酒米を安定的に確保できるのである。
今、日本酒のラベル(酒票)を集める人が増えている。
”ひげ文字”を代表とする独特の文字と意匠の豪快さと、金・銀をちりばめたカラーの美しさに魅了されるのだろう。
デザインは世界的にも高く評価されている。
世間の”軽い風潮””に愛想をつかし、”重厚さ”を酒票に求めるコレクタ−も多い。
また、自分が飲んだ酒の感想をはじめ、購入日、店名、価格などを記して、酒票と共に残しておく愛飲家も増えている。
一般に蒐集というと、種類さえ多ければ満足する人が多いが、酒の場合は自分が味わってこそ本当に価値があがるといえる。
寒い季節に造られる日本酒は、4月頃「火入れ」という
低温殺菌をして貯蔵されます。この酒を検査するため、タンクの呑口を開けることを
「呑切り」
といいます。
普通、気温が上昇して酒質が変化しがちな6月頃に第1回目を行ないますが、
これを「初呑切り」といいます。目的は、タンク別の調熟度合や
香味をチェックし、出荷順やブレンド方法等を決めるためです。
この呑切りは、酒造家にとっては大切な行事で、この時、卸店などを招待し、
盛大な宴を張るところもあるようです。
取引の大半をこの時に決めてしまうのです。(現在はないようです) その後、月1回ずつ呑切りを行い、秋風が吹くころ、最も飲みごろになるのを
待って出荷されます。
湿気によるカビ対策で頭を悩ます時がやってきました。わが国は、多湿な風土のため、
生活文化の中に、カビとの対応から生まれた知恵が随所に見られます。
カビには、マイナス面はものを腐敗させたり、病気の原因をつくります。
しかし、上手に活用すると、すばらしい発酵食品が生まれてきます。これが
プラスの面です。古来、日本人は、マイナスをプラスに変える「逆転の発想」
が得意で、日本酒をはじめ、味噌、醤油、納豆などは、
微生物を巧妙に手なずけて生み出した歴史的傑作といってもよいでしょう。 日本酒はカビの一種である麹菌を利用してつくるものですが、米麹利用の醸造は
すでに弥生時代から始まっているのです。
生酒ファンが急増しています。生酒は香りが華やかで、味も若々しく、新鮮
そのものです。これが造りたての生の魅力です。
この「生酒」古代の日本ではごく 普通の酒でした。
昔の酒は、ハレの日に集まる人々や神々のために、その日必要な量だけ造っていました。
それが室町時代に殺菌貯蔵法(火入れ)が考案されてからは、生酒が少なくなり、
近年まではほとんど造られなくなってしまったのです。
ところが最近、この生が味わえるようになりました。醸造法の進歩と冷蔵輸送の賜です。
正にロマンの酒の復活といえます。
米麹による日本酒の起源は、稲作文化の始まった弥生時代とされています。 それ以前は、女性が、それもうら若き乙女が、米を噛んで、唾液で米を糖化させるという原始的な方法で酒を造っていました。この時代は、「母長家族制」 であったため、一家の「長」は主婦であり、従って、酒造りの権利も、炊事権や 食料の分配権同様、女性にありました。酒壷を管理していたのも当然主婦でした。 「おかみさん」の「おかみ」は、この頃の「噛み」が語源です。世の亭主族が 「おかみさん」とたてまつって敬称でいうのも、実は、酒が飲みたい一心から かもしれません。